mitolab's diary

東南アジアで頑張って生きてる人のブログ

久松達央さんの「キレイゴトぬきの農業論」を読んで目からウロコだった件

私は今フリーランスのアプリエンジニアなわけですが、次は自然と対峙する仕事をしたいと思っていて、農業関連の本を読み漁ったり、ネット上で記事を読んだりして、どういう農業があるのか、どうやって始められるのか、自身のもてるスキルをどのように活かせるのか...etcを調べているところです。

その中で、最近特に重点的に調べていたのが、有機農業です。有機農業に注目し始めたのは、以前『タイでエンジニアから転身、堆肥を変えて高単価なオーガニック野菜を作る、大根田さんにお会いしてきました』 でインタビューして以降になります。

有機農業といえば、自分の中では、"環境に優しくて高単価な野菜作りができるが、ただその分難しい農業だからやっている人は少ない"というイメージでした。でも個人的には、それがビジネスチャンスに思えて、且つ自分自身の持つスキル(大したことないのに...)で改善できる余地があるんじゃないかと漠然と妄想していました。

でも今回この本を読んで、そういう妄想から1歩進んで、多少実情に即したイメージを持てるようになったかな...と思っています。ということで今日はこの本を読んで特に目からウロコだった部分を引用しつつ、本の内容を章ごとにご紹介したいと思います。

キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)

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本の著者

この本の著者は、久松農園を経営している久松達央さん。脱サラ農業者で、日本一話のうまい農家と称され(自称?)、エロうまというコンセプトのもと、年に50品目もの有機野菜を作って個人の消費者や飲食店に直接販売するビジネスを行っています。

この本の特設ページもありましたので、そちらもご紹介しておきます。

久松農園オフィシャルサイト | 『キレイゴトぬきの農業論』特設ページ

目次

  • 第1章 有機農業三つの神話
  • 第2章 野菜がまずくなっている?
  • 第3章 虫や雑草と どう向き合うか
  • 第4章 小規模農家はゲリラ戦を戦う
  • 第5章 センスもガッツもなくていい
  • 第6章 ホーシャノーがやってきた
  • 第7章 「新参者」の農業論

有機野菜だから安全、環境にいい、美味しいは必ずしもそうではない

第一章では、「有機野菜だから安全、環境にいい、美味しい」というのは神話で、必ずしもそうではないという事をおっしゃっています。

"必ずしも美味しいわけではない"ということは、冒頭でご紹介したインタビュー時に聞いていたので驚きは無かったですが、その他2点はまさに目からウロコでした。

「有機だから安全」に異論を唱える根拠としては、

「仮にある農薬が、関連するすべての農産物に基準値上限まで残留していたとする。それを一生涯にわたって毎日、国民平均の100倍食べ続けたとしても、動物実験で健康に影響が出ない範囲に収まる」

という部分。今の農薬はその厳しい基準をクリアしているので、そういった農薬が使われている農作物でもほとんど安全といっていいそうです。むしろ、どんな食べ物でも毒性があれば食べ過ぎると死んじゃうよという話をされています。

また、「有機だから環境にいい」に対する反例として、

この紙マルチ栽培は突出して二酸化炭素の排出量が高かったのです。これは紙の製造工程で大量の二酸化炭素を出すためです。いくら田んぼでは「環境にいい」と言っても、その分のツケをよそに回しているのでは、この方法そのものが「環境にいい」とは言いづらいものがあります。

とおっしゃっています。

紙マルチ(google画像検索)栽培というのは、紙でできた素材を、種を植えた農地に被せることで除草剤を使わなくてすむようにする農業技術のようです。この技術を使うと、慣行農業に比べて、二酸化炭素の排出量が3倍以上も高くなるようです。

ということで、有機農業といっても、使う農薬や技術などによって、一概に安全とか環境にやさしいということは言えないようですし、どの程度使うかの問題でもありそうです。

いつでも平均値の野菜を、ではなく旬の時期に美味しい野菜を届ける

第2章では、ほうれん草の年間出荷量の推移をみて、今の時代周年で野菜は手に入るけど、その分輸送コストがかかっていたり、本来の味を出せていない。なので、著者の農園では、旬の時期に適した栽培方法と品種を使い、ベストな時期に収穫し、直送することでクオリティの高い野菜を消費者に提供しているというお話をされています。

有機農家として食っていくための理論と実践

第3章では、

有機栽培は生き物の仕組みを生かす方法である。 無農薬は食べる人の安全のためではなく、畑の生き物を殺さないため。 多様な作物を育て、生き物の種類と数を増やすことで、生産力の安定と質の向上を目指す。

といった、コンセプトを実践する上で実際に問題となってくる虫や病気、雑草とどう向き合うかについて、具体例を挙げて書かれています。その前に、野菜は自然に育てても育つものではないので手をかけてやる必要があるんだよ、という前提を説明されています。

またこの章で印象的だったのは、章の最後で、自身の農業観を吐露している部分です。

生き物の仕組みを利用する有機農業の技術は工夫に満ちた実に面白い試みだと思っています。特に、そのローテクな部分に惹かれます。大量のエネルギーを使うのではなく、もともと生き物が持っている力を上手に利用するところに美しさを感じます。

また、あえて難しいとされる露地での有機農業をする理由について、

生き物を扱っている以上、最後のところは生命力を直接感じる環境の中で仕事をしたい、(中略) 地下足袋で土を踏みしめる感覚や、畑全面に色とりどりに広がる作物を吹き抜ける風の匂い。そういう身体的な感覚が、農業を続ける上で僕には重要な要素なのです。

とおっしゃっている一方で、有機農業は人件費も販売価格も高くなるけども、結局それに見合うだけの市場価値を見つけてこそビジネスが成り立つ、といもおっしゃっていました。

この部分から、経営者としてぶれない軸をもっている事と、いかにビジネスを回していくかを両方意識してらっしゃるのを感じることができたし、単純にとても共感できる考え方だったので、印象に残っています。

有機農家の生存戦略

第4章では、著者自身が有機農業をするうえでのWhat(目的)、How(どのように)を紹介し、そのメリット・デメリットや考え方を説明しています。この章で私は一番多くマーカーを引いていたので、個人的にはこの章が一番参考になったんだと思います。

著者の場合、世襲制の農家とは違い、新規就農者という土地も設備も技術も最弱の立ち位置にあることを前提に、 What(目的)は「美味しい野菜でお客さんに感動してもらうこと」。How(どのように)は「適した時期に、適した品種を健康に育て、鮮度良く届ける」ために「消費者直販の有機農業」という形をとった、とありました。

で、自身の目指す農業の強み・弱みを明確にした上で、どこに市場を求めればいいか、どういう戦略がうまくいったかを説明していました。 具体的な戦略は以下のとおりです。

  1. 安売りの土俵に乗らない
  2. 引っかかりは多い方がいい
  3. 手持ちの武器で戦う

どれもなるほどな、と思うものでした。詳しくは是非本書を買ってみてください(笑)。

農業は思ったほど効率化されていない

第5章では、農業の中で常識や慣例的に行われていることや、基本的なところからすべて考えなおしてロジカルに考えれば、効率化できる、ということを様々な事例を通しておっしゃっています。

3.11で気づいたこと

第6章では、3.11の際に起きた出来事やそこから得られた事について書かれています。

2011年3月の東日本大地震では、廃業を覚悟するところまで追い込まれたけど、3月末頃からのネットを中心にした支援活動のおかげでなんとかしのぐことができたそうです。

特に印象に残っているのは、政府が補償金を出すといったが、なんだかモヤモヤして受け取る気にならない、というくだりです。

「こんなに好きな仕事なのに、もう農業はできないんだ。これまで、いい夢見させてもらったなぁ」 そう思うと涙が溢れて来ました。悲しいというよりも、失恋のような気持ちです。楽しかった日々が思い出に変わってしまう寂しさを感じました。

この後つらつらと話は続いて、補償金を受け取らない理由もおっしゃるのですが、上記の言葉だけで筆者がどれだけ農業が好きか、どれだけ続けたいと思っているかが伝わってきて、補償金云々じゃあ気持ちは晴れないだろうなというのは情景から伝わってきました。

「新参者」の農業論

最後の第7章は、職業としての農業と産業としての農業に対して、著者が感じている問題点を議論する章になっています。

この章で一番衝撃だったのは、

農業者が変われない一番の理由は、やはりお金に困っていないから

という部分。というのも、私が東南アジア各地の農業について聞いた事と同じことをおっしゃっていたからです。

私は一度ベトナムのダラットという、現地では有名な農業地のはずれの街に訪れたことがありました。そこで、とある農家さんを訪れたのですが、立派な家に立派な家具、1.5ヘクタール程の土地をもって家族と幸せそうに暮らしていました。そこで「有機農業を始めたい?」という質問をしてみたのですが、「買い手も居ないものを作るリスクは負えない」という旨の事をおっしゃっていました。その他色々聞いてみたのですが、あえて新しいことにトライする必要がないくらい充実した生活を送っているようでした。しかも、これがこの地域で一般的な農家だと言うのです。

日本とベトナムで歴史こそ違えど、やはり困っていることがなければ発展する必要性はないんだなと、著者がしきりにいっていた、「水は低きにながれる」という言葉が身にしみました。

全体としての感想

この本は、新規就農を目指している方にピッタリだと思います。 実際に新規就農から10年以上農業を続けている著者のリアルな意見や情報を知ることができますし、著者の考え方に共感できる部分を自分の糧にして、自分のしたい農業のイメージを具体的につくっていけそうな気がしました。

1つ気になった点

全体的に目からウロコのことが多く良い内容なのですが、 時々自分を卑下して慣行農業の人をヨイショしているようで、実は自分の方が優れているよね、みたいな言い方に感じられて少し感じ悪かったです(笑)。

自分は体力がないし、センスもガッツもないからロジカルに考えてこうした。慣行農業ではセンスとガッツでやってけるんだよね〜って、これネガティブに言うと、慣行農業はなんとなく根性でやってけてるんだよね〜っていうふうにも受け取られれかねないので怖いなと...。ただ、これが本当であれば、これ以上柔らかい書き方もできそうにないので難しいところだなとも思いました。

ただ「まして奇跡をおこすなどできません」っていうくだりは、奇跡のりんごへの当て付けとも捉えられます。この辺はあえて揶揄しなくてもスルーしてあげるのが紳士じゃないのでしょうか...。

ただそれでも物怖じせず言うところは、この業界に風穴を空ける意志を感じて、(上から目線ですがw)ガッツあるなと思いました。

参考

右左よくわからないのですが、以下の記事は日本の農業の歴史を垣間見ることができて、なぜ日本の農業が成長できていないのかを考える上で参考になりました。

TPPの罠 第6回 安倍強い農業の壮大なる“虚構”